この大鳥城は、平安の末、12世紀の後半佐藤師清の代に築かれたと伝えられています。
城をつくるとき、城の中心に大鵬を埋めて城が永く栄えることを祈り「大鳥城」という名をつけたといわれています。しかし南に小川、西に赤川、北東に摺上川と四方を川によって囲まれたこの城は、自然の地形を巧みに使った山城です。このため「舘の山」の名があり、当時の石積みや空濠、土塁があちこちに残っております。頂上の本丸跡には、吉川英治の文章で「大鳥城記」の碑があります。
源平の戦いで義経の身替りとなった二人の子継信、忠信を失った基治はこの城を守り、
文治5年(1185)頼朝に追われた弟義経が立ち寄ったのもここであろうが、これを追って来た頼朝の軍勢に攻めたてられて、その年の7月8日に遂に滅びたといわれています。
伝説では、8月13日の名月の夜であったともいわれています。
頂上からの眺めは、東に信達一円、西に吾妻の山なみを一望でき、必ずや行く人の目を楽しませてくれます。