藤太「いやー、不思議なことがあればあるもの」と。つぶやきながら、ゆったりと温泉につかり、昨夜来の激斗(げきとう)のつかれをいやしたんだって言うんだ。
うんじゃな、おわり。
■解説 その2
■…1125年、第10代鵬城主の佐藤師治(すえはる)が藤太湯を佐藤家専用の温泉にして、当座湯(とうざゆ)と名付けます。
■解説 その3
■…藤太からの5代目に、今日の日本の姓で一般的な「佐藤」の氏祖である佐藤公清(きみきよ)が生まれています。
■解説 その4
■…1189年に、当座湯が枯渇します。この時代に、佐藤公清からの6代目の佐藤基治(もとはる)がいます。佐藤基治は鵬城主で、医王寺にお墓があります。
■解説 その5
■…1578年に、堀切家の主導で、赤川の流れが変えられます。そのせいか、堀切の地(おそらくは摺上川沿い)に温泉が湧き出ます。再び、当座湯と呼ばれました。
■解説 その6
■…1804年、赤川がまたも氾濫し、現在の湯沢に温泉が出ます。上記の当座湯とは若干場所が異なるかもしれません。温泉が地面の下を透過して別の場所へ達して湧き出たので、透達湯(とうたつゆ)と呼ばれます。
■解説 その7
■…1992年に、建物の老朽化のために透達湯は取り壊されました。その場所に、現在の鯖湖湯が建っています。1889年に建築された鯖湖湯は、30m離れた小さな公園に建っていました。いにしえの佐波来湯、藤太湯、当座湯、透達湯は、1992年に復元された今の鯖湖湯に受け継がれています。 |